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やっぱり人が好き!
ご縁を結び、人の輝きを引き出す
“むすびや”の仕事
わたなべ ゆうこ
渡部 ゆうこ
(むすびや)
出雲市出身。大田市役所勤務を経て、2010年にアンテナカフェ「ハレの日」を開業。その後、株式会社necco(ねっこ)を立ち上げ、施設運営や商品開発、企業支援などに携わる。現在は大田市の伝統的な塩づくりを継承しながら、人と地域を結ぶ活動を続けている。
市役所時代の出会いが、私の原点
私の今の主な仕事は、地域プロデュースや商品開発・プロモーション、経営者のメンターやコーチング、そして塩焚き…。「結局、何をしている人なんですか?」とよく聞かれます(笑)。今の活動にたどり着くまでには、本当にいろいろなことがありました。
私はもともと出雲市の出身で、高校卒業後に結婚・出産を経て、大田市で暮らし始めました。子どもを育てるために安定した職に就きたいと選んだのが、市職員の仕事です。私にとって大田は知らない土地でしたが、総務課に7年間在籍し地域を回るうちに、地域を知る土台ができていきました。
地域政策の部署へ異動すると、UIターンで何かに挑戦している人や、地元で頑張っている人たちに出会い、この地域には魅力的な人がたくさんいることを知りました。その後の産業振興部では販売流通を担当。東京や大阪へ出向き、地域ブランドの営業などに携わる中で、地域づくりと産業は両輪であることを学びました。
最初は生活のために始めた仕事でしたが、気づけばどっぷりはまってしまって(笑)。市役所時代に出会った人たちとのご縁は、いまも私の原点であり、私の礎になっています。


人を結び、地域を結び、広がっていった活動

地域のことを知るうちに、子どもたちの故郷でもあるこの地を守りたいという思いが芽生え、2010年、市役所を辞めて大田市駅前に「antenna café ハレの日」をオープンしました。地域の人やモノの“晴れ舞台”という意味を込め、地域情報の受発信基地をつくりたいと考えたのです。
カフェという名前はついていますが、食はあくまできっかけで、目的は人と人を結ぶこと。会話をしながら「この人はこんな人なんだよ」とお客さん同士をつなぎ、そこから生まれるご縁をカウンター越しに見ているのが好きでした。
2015年には、三瓶山が好きな女性たちによる「さんべ女子会」を結成。交流を目的に始めたグループでしたが、西の原レストハウス(現在の山の駅さんべ)の指定管理を担うためにメンバーで「株式会社necco」を立ち上げ、どんどん事業が広がっていきました。
ふと気づくと、カフェ、三瓶の施設運営、企業支援、商品開発……と、二足どころか何足ものわらじを履いていたんです。あの頃、一生分働いたのではないかと思うほど。その原動力は、地域にある宝物のような人や技でした。原石があるのに光が当たっていないのがもったいなくて、「これ、すごくいいね!」「こうやったらもっと伝わるよ」と言っているうちに、自分が全部やってしまっていて(笑)。でもそれが楽しかったんです。「ハレの日」も「necco」も、目的は同じで、体と心、人と人、地域と地域を結ぶこと。いつしか周りから「あなたって結び屋だよね」と言われるようになりました。

体からのSOS。立ち止まることで見えたもの
その頃、古民家に住みたいという思いから、邑南町にあった築170年の古民家へ移り住み、屋号を「むすびや」としました。三瓶と邑南町、片道50キロ以上を行き来する日々。「エネルギーは無限に湧いてくる」と信じていましたが、今思えば明らかに働きすぎでした。周囲の期待に全力で応えようと、求められる“渡部ゆうこ像”に自分を合わせてしまっていたんです。
そんなある日、ふと立ち止まり、「あれ? 私、何が好きなんだっけ?」と自問自答。好きな色は?好きな食べ物は…?自分の“本当”が分からなくなっていました。外側だけで生きていて内側はからっぽになったような感覚。
やがて体も止まりました。携帯が手から落ちる。包丁が握れない。熱さが分からない。最初は忙しさのせいだと思い、「私は大丈夫」と思い込んでいました。そしてある日、お風呂に入ったときのことです。右半身だけが水のように冷たくて、さすがにこれはおかしいと思いました。すぐに診療所の先生に電話をし、大きな病院へ。検査の結果、医師から「脳と中枢神経に関わる難病です。すぐに入院してください」と言われたとき、不思議な感覚に襲われました。「助かった。これで休める」と思ったのです。これで立ち止まる理由ができた、「休みなさい」というメッセージなのだと受け止めました。
人と人を結んできたのに、自分の心と体はまったく結ばれていませんでした。実家に戻り、約2年間の療養生活。仕事も少しずつはしていましたが、体もメンタルも不安定で自信もなく、力が抜けた状態でした。
そんな私を見かねた友人が、「この建物、なんとかしたいから手伝って!」と声をかけてくれて生まれたのが、現在サンロードなかまちにある「醗酵文化研究所」です。この場所から新たに異業種との交流が始まり、それまで点と点だったご縁が、少しずつ線になっていきました。自分の心と体も結び直しながら、また前に進み始めることができたのです。


塩から広がる、新しいご縁と私の役割
「結局、何をしている人なんですか?」と聞かれたら、「塩づくり」と答えるでしょうか。
大田市静間町の海岸近くでは、伝統的な塩づくりが行われています。市役所時代、地域情報誌の取材で訪れたことをきっかけに、その塩づくりに関わるようになりました。最初は「商品や生産者さんを多くの人に知ってほしい」という思いから、半ば仕事の延長で手伝っていましたが、病気をきっかけに自分から塩作りに関わりたいと思うようになり、新月と満月の月2回、必ず通うようになりました。
当初4人いた塩作りの職人も、高齢化により徐々に減少し、最後は一人に。2024年、私の師匠でもあるその最後の職人から「もうここを閉めようと思う」と言われた時、「私が継ぐけん」と口にしていました。まさか自分が継ぐことになるとは夢にも思っていなかったので、自分でもびっくりです(笑)。でも継ぐと決めた瞬間、まさに“潮目”が変わりました。パッケージを変え、塩を自分の言葉で届け始めると、信じられないようなご縁が次々に舞い込んできたのです。塩(えん)=縁。師匠が「塩はご縁だぞ。それを忘れるな」と常々口にしていますが、まさにその通りでした。
新たなご縁の一つが、出雲市につくる「日々のご飯 五穀と鹵(しお)」というお店のプロデュースです。日本人が昔から食べてきた五穀と塩をコンセプトに、命をつなぐ“元”になる食を発信する場所にしたいと考えています。塩焚きを通して身土不二(しんどふじ:人と土地は切り離せず、その土地の食が最も身体に良いという考え)を実感したからこそ、この場所は自分の集大成になると思っています。体にやさしく、毎日飽きずに食べられるご飯を届け、働く人もお客さんも、関わる人すべてが笑顔でいられる場所になれたらうれしいです。
人と人。地域と地域。振り返れば、私はずっと“結ぶ”ことをしてきました。でも本当に結ばなければならなかったのは、自分の心と体だった。病気になって、ようやくそれに気づきました。
とはいえ、転んでもただでは起きないのが私のいいところ。そこから新しくつながったご縁や、得られたものもたくさんあります。私はやっぱり、人が好き。そして、人と人がつながる瞬間が好きなんです。
塩と人って、どこか似ているんですよ。塩は海の中にあるときは、その輝きが見えません。でも塩になると、きれいな結晶が姿を現す。人も同じで、誰の中にもまだ見えていない光がある。その輝きを見つけて、そっと取り出すこと。それが、私の役割なのかもしれません。


出雲人が薦める出雲
- 旭日酒造の麹

雑味がなくキレのある味わいで、甘酒にしても、味噌や塩麹にしても、驚くほどすっきりとした味になります。甘酒が苦手な人でも「おいしい」と言うほど。人気商品でなかなか手に入らないのが難点ですが、出会えたらラッキーな麹です。
- 「日々のごはん 五穀と鹽」の雑穀

2026年初夏オープン予定の「日々のごはん 五穀と鹽」で提供される、出雲産の自然栽培の雑穀。栄養価が高く、つぶつぶとした食感があって本当においしい。毎日食べたくなるご飯として、日々の食卓に自然に溶け込むかたちで届けていきたいです。

